【特別寄稿】その14―古代人は玄米食をしていたとの誤解



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古代人が食べていたコメは、今の玄米食のコメとは異なるのである。

例えば、ここに古代人が居たとして、今日の玄米のご飯を差し出したら、「こんな硬くて不味いものは食べられません」と言われると思われる。それは私が古代人と同じやり方で、手で臼と杵を用いて籾を脱ぷし、そのコメのご飯を実際に食べてみたから、わかるのである。

古代人も、現在一部の人がしているような「玄米食」をしていたと考えている人々が多いが、それは全くの誤解である。

今の玄米は、明治時代以後に出現した素晴らしい「籾摺り機」によって脱ぷ(だっぷ:籾から籾殻を剥がすこと)されているので、籾殻だけが見事に剥がされているために、玄米粒の表面がそのまま残っているために光沢があって綺麗であるが、それは玄米粒の表面は蝋質の表皮で覆われたままになっていて、それが光っているからである。

従って、それをそのまま浸漬して炊飯しても、蝋質の表皮によって吸水が遮られる結果、玄米粒が白米のご飯粒のように膨張できず、極めて硬くて不味いご飯にしかならないのである。

それに対し、古代人がしていた臼と杵で籾を搗くと、籾どうしが擦れ合って脱ぷするが、バッチ式のために、早く脱ぷしたものは白米に近い状態になっているし、遅く脱ぷしたものは玄米のままとほとんど変わりが無く、全体的には無段階の斑状になっているものの、いずれの米粒も他の籾殻などで擦れて、表面の蝋層がほぼ無くなっているので、浸漬して炊飯すると吸水しやすいので、米粒が白米のご飯のように膨張して柔らかいから食べやすく、しかも玄米の栄養素が殆んど残っているので、素晴らしく健康的な食材であった。私が『本当のコメ』と言うのは例えばその様なコメを指すのである。

※編集部注 臼と杵で精米すると、臼と杵や他のお米粒とこすれた米粒はすぐ白米に近い状態になり、あまりこすれなかった米粒は玄米に近い状態で残ります。だから「早く脱ぷしたものは白米に近い状態になっているし、遅く脱ぷしたものは玄米のままとほとんど変わりが無く~」という状態になります。

豊臣秀吉の備中高松城水攻めの絵。この後、230kmを踏破し、本能寺の変を起こした明智光秀軍を破れたのは玄米のおかげ!?
(絵とキャプションは編集部が追記)

要するに『本当のコメ』とは、コメに元々備わっている酵素を含んだ糠を残し、しかも人間が美味しく食べられるように加工したコメのことである。

その様なコメは栄養が豊富なだけではなく、消化吸収しやすいことと、それによって人間が必要とする栄養素の大半が摂取できるからである。後は大豆と野草と塩さえあればとっても健康な生活ができたのである。

戦国時代に高松城(現在の岡山市)を攻めていた秀吉軍が、本能寺の変を知り、急遽、重い鎧兜を持って昼夜の強行軍が出来たのも、その頃にも古代人同様に『本当のコメ』と保存食の味噌を食べていたからであって、人間の手によって酵素を含んでいる糠を取り去られて歪められた『本当のコメでは無いコメ』を常食している現在人には到底真似の出来ないところだろう。

「目からウロコ  『コメ』って こんなに誤解されていたんだ!」――その15に続きます

<文>

東洋ライス株式会社 代表取締役社長

東京農業大学客員教授

雜賀慶二さん